連続の物語/10月号*テーマ「青」
僕は人間じゃない、だってへその尾がないもの。そう、Tは言った。しかし、Tには、へそがちゃんとついてあった。じゃあ、人間じゃないなら、どうやって生まれてきたの、とたずねると、Tは、満足そうに笑って、こう答えた。
「もちろん、卵だよ」
Tは、とりたてて変わった人物でもなかった、クラスで目立ちもしないし、落ち込みもしない、顔だちも目立つものではないし、どこにでもいる普通の男だ。どちらかというと真面目な男なので、余計に、彼がそう言ったとき、私は、とても驚いた。
ふざけているのかと思って、私は、もう一度、聞き返した。卵? ウソでしょ? 卵っていうことは、にわとりかのつもり? 羽でもあんの?
もちろん冗談じゃない。でも、鳥じゃない、外見は、この通り、人間そっくりさ。Tは笑う。卵は大好き、目玉焼きはよく食べているよ。そして、こう低い声で付け足した。僕はね、きみの知らない生き物だよ。
実は、これが彼の残した最後の言葉だった。その日の昼休み、彼は学校を抜け出してから、以来、学校に姿をみせることはなかったのだ。
正直なところ、私は、すぐに彼のことを忘れてしまっていた。とくに彼と仲がよかったわけではなく、彼が高校を辞めたからといって、別段周りの友人らも騒ぐことはなかった。自然と普通の生活に戻っていったのだ。彼が消えてから、もう半年は過ぎていたと思う。季節も、夏から真冬になっていた。
息も氷る昼すぎ、私は、分厚い白いコートに、赤いマフラーをまいて、新宿をあるいていた。そんなとき、彼は再び、私の前に現れたのだった。
彼は、全身まっくろの洋服を着ていた。黒いコートをはおるそれは、まるでカラスのようでもあった。新宿の雑踏のなかで、彼は、独り立っていた。それの姿は、興味をそそるものであった。すべてが動いているのに、彼の時間だけが、ストップして動いてないのだ。誰もが彼を無視していた、というより、彼は、高台から街並みを見下ろしていて、その場に存在していないような雰囲気であった、そして、彼も周りに感心がなく、ただ目に入ってくるのを見ているというふうであった。
私は、一見しただけで、すぐに彼だと分った。普段ならぼんやりとして、いちいち周りなんてみないのだが、何かの力によって、そこへ視線を向けさせられたようでもある。私は、怖ず怖ずと彼へ近付き、声をかけた。ひさしぶり、ほら、おなじクラスだった、A子よ、憶えてないかな? ねえ、こんなところで何してんの?
彼は、私に一瞥だけして、無気味に笑った。待っていたんだ。
待っていたって何を? 私がそう聞き返すと、彼は、数秒黙り込んで、ただ雑踏をみつめていた。そして、一度ため息をつくと彼はこう続けた。僕は生まれ変わるんだ。その時を待ってた。
その言葉のつながりが、私にはさっぱり分からなかった。途方のないことを言っているようでもあり、現実身をおびているようでもあった。彼の表情はとても深刻だった。それに、なんだか以前の彼とはまったく違って見えてきた。彼は、生まれかわると言っているが、彼はとっくに以前の彼ではなくて、別の人格のようでもあった。疲れきった表情と、落ち着いた物腰は、死期を前にした老人にもみえる。
私が不審そうに彼を見つめていると、彼は、私を新宿の地下へひっぱっていき、ロッカーが立ち並ぶところまで、連れてきた。青いロッカー、赤いロッカー、黄色いロッカー、たくさんのロッカーが、ずらりと列をなしていた。
僕達には、いくとおりもの生き方がある、きみは今のきみを選んで生まれてきたんだ。次は、どれがいい?
彼は、おもむろにロッカーの一つを指さした。この人の人生は、どんな人生だろうね。彼は扉のなかへ頭をつっこんだ。とても、不思議で、無気味な光景だった。だいたいロッカーの中に頭をつっこんだままの人を見たことがあるだろうか? 真っ暗やみの先には何もない。
君も覗いてみなよ、彼はそう言ったが、むろん、私はそうするつもりはなかった。
ここは、魂の集合体だ、好きな魂を選ぶことができるんだ。さてさて、次はどの生き方にしようかな。
うってかわって彼はとても愉快そうになった。淡々としているが、久々の彼の笑顔を見た気がした。しかし、それは、私をからかうのが、とても面白いというふうにもみえた。私は憤慨して、彼をロッカーへ突き飛ばした。力が弱いので、軽く肩がロッカーにかすったくらいだが。
私は嫌みっぽくこううなり声をあげた。あなたは、人間じゃないんでしょう。じゃあ、早く自分の殻に戻ってみせてよ。本当は怖いくせに。
急激に彼の顔色がかわっていくのが分った。青ざめて、うつむき、さっきまでの勢いは消えていた。私は、急に彼に悪いことをしたと思えてきた、彼はなぜ私に、私を選んで(もしくは単なる偶然なのか)、そんなことを言い出したのかと、冷静にもなってきた。大して縁もない私達である、なぜ彼は、私にそんなことを言うのか。
彼は再び喋りはじめた。生き方をリセットするんだ。僕は人間じゃないから、残念だけど、次は、もうきみと逢うこともないと思うよ。
かすかな声でそういうと彼はロッカーの一つを選び、扉をあけた。また彼は、その中へ頭をつっこんで、じっとしていた。誰かと話しているかのように、うんうんと頷く声が聞こえてくる。
そして、体を持ち上げると、彼はその中へ体を押し込みはじめた。そこは、50センチ四方で、人の体がはいるようなところではなかった。しかし、彼は、どんどんと入っていた。どんどんと吸い込まれていった。彼の腹まで入り込み、腰まで吸い込まれ、すね、足…彼は消え去る。そして、扉は、ギシリとうなり、バタンとしまった。
私は、まだ彼がからかっているんだろうと思った。そう信じたかった。でも、数分しても、まったく出て来る気配はなかったのだ。私は、慌てて、そのロッカーへ走り、扉をひらき覗きこんだ。
彼の姿はなかった。そこは、暗闇で、ただの銀色の四角い入れ物だった。私は、もしや、どこかに抜け道があるのではとバンバンと中を叩いてみた。しかし普通のロッカーでしかない。彼は、どこにもいなかった。(終/inoue kaname 2000)
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